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「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(2)

kage

2014/07/29 (Tue)

 【 人間魚雷 】

 長男が魚雷によって死んでいった後、家に手紙が届きます。
日本国の為に命を捨てて戦った 長男が軍曹に特進したと言う知らせと、長男が家族への想いや先立つ親不孝の許しを請う内容の手紙と写真でした。

 数年後、沖縄に日本軍が上陸する頃 三男で末っ子の私の父は 年が替わり数えの16歳(満15歳の時)に成った為、少年特攻隊へと志願します。
世の中に男の子達が少なくなると、嫁にいける女の子達は 当然少なくなると考えた祖父は 戦時中にも拘らず、私の祖母に言って 残された娘二人に 琴、三味線、日本舞踊や、着物の着付けを教えます。
百姓の子供と言えど、女性の嗜みと言う物は 身に着けておいて損することが無いと判断したのでしょうか。

 アメリカ軍が沖縄に上陸した頃、次男が帰ってきました。
ぎこちない歩きをしている姿を良く観ると、片方の脚に包帯をしています。
と言うより、太ももの中間辺りから下が ありませんでした。
それは マシンガンで打たれた足が膿み、切断するしかなかった結果だったそうです。
片足を無くすことによって、前線の戦闘から解放され、生きて帰って来たのでした。

 一方、大地主の長女として産まれた私の母は 高等女学校に入学していましたが、タイミング悪く戦中と成った為、授業の殆どが、赤鬼(アメリカ兵)が攻めてきた時の対策として 竹やり、なぎなた、護身術、そして避難の仕方が中心で、勉強は 殆ど出来ていない状態だったそうです。

 本土への攻撃が始まり、敗戦が濃厚になってくると、父の特攻の日が早まりました。
「貴様達は 二週間後に突撃する。」と言われ、身の回りの整理と遺書を書く用意を始めます。
丁度その時、父は 誕生日の関係で同期で入った者達が 特攻隊として出撃するのを見送っていました。
人間魚雷
 乗り込み口は 非常に小さく 身長170センチくらいが限界かもしれません。
昔の人達は 小さい方が多かったことを物語っています。



 次回は 「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(3)です。


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kage

るどるふくんさんの ご両親と、私の両親はほぼ同じ年齢のようです。

父は黒竜江省から南洋のメレオン島で敗戦になり、生き残った者は、栄養失調で帰ってきたのです。

父の肘には、弾をうけて、えぐり出した傷痕が残っていました。

人間魚雷に入ったら、出られないのですね、それだけで、息苦しくなってしまいます。

Posted at 14:51:49 2014/07/29 by おこちゃん

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kage

 るどるふくん様の伯父上は人間魚雷に乗ったのですか?あれは空を飛ぶ特攻隊よりも恐ろしいと思います。密封された空間で、死を待つ。命中率は恐ろしく低かったそうで、0.0数%だったと聞きます。回天と言いましたっけ。

 私の伯父も硫黄島に行き、戦死したと言う知らせが来ましたが、捕虜となって奇跡的に生還、戸籍にも「戦士のしらせ錯誤にて…」と言う一文があります。
 
 長男や一人っ子は家のために徴兵しないよう配慮されたらしいですが、最後の方になると、そうも行っていられなくなったようです。長男も一人っ子も戦争に駆り出されたと、おじさん父が言っていました。

Posted at 15:42:11 2014/07/29 by ひねくれくうみん

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kage

 e-446こんにちは。

 亡くなったあとに 特進するっていうのが
 昔から違和感を感じますe-441
 
 タイトル
 いろいろと深くて難しい問題ですね。
 それゆえに 
 普段はあまり考えないような事でもあります(^^ゞ

 るどるふくん(さん)の記事を読みながら
 ちょっと立ち止まって
 自分なりに思う機会になれば…
 と考えているんですが(●´ω`●)

 亡くなったあとに 特進するっていうのが
 どうも 慣れません

Posted at 16:21:07 2014/07/29 by みけ

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kage

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Posted at 21:06:08 2014/07/29 by

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kage

おこちゃん さんへ

 私の父は 昭和4年生まれです。
お父様は ご健在でしょうか。

 黒竜江省から南洋のメレヨン島へ上陸した歩兵師団にいらっいゃったのですね。
歩兵第22・第32連隊か第7派遣隊に所属していらしたのでしょうか。
当時、戦争においては、先に歩兵部隊を上陸させた方が 戦闘を有利に運ぶ事が出来ると可能性が遥かに高くなると言う常識がありました。

 重要拠点を占拠するためには いち早く上陸する必要があったのでした。
その為、この作戦において 充分な食料を確保している余裕は 無かったと聞いております。
結果的に、ここを占拠できたにもかかわらず、ひもじい思いをする兵士たちが 大勢出てしまいました。
その中に、父上様はいらした訳で、そのことを想うと辛い期間だっただろうと察します。

 私の伯父は 銃弾が太ももに残っていた為、切断という憂き目に会ってしまいましたが、貫通していた方が膿む事は 少なかったと聞いた事がありました。
父上様も被弾されたにもかかわらず、直ぐに弾を取り出したことが、幸いしたようですね。
結果的に傷は 残ってしまいましたが、その処置は 大正解だったと考えます。
現代を生きている私には とてもまねは出来そうにありません。

 戦争も終盤になると、人間魚雷も少年用なのか小さくなります。
ただ、この魚雷が実際使われたかは 不明ですね。
アメリカ軍に仕様がばれない為に 解体もしくは 埋められた可能性があるとも言われています。
僅かに残るこの人間魚雷は 鹿屋の航空海上自衛隊に展示してあるので、もし南九州に行く機会があれば 覗いて見られたらどうでしょうか。

Posted at 22:42:38 2014/07/29 by るどるふくん

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kage

ひねくれくうみん さんへ

 当初は 実に正確で 連合軍がかなり驚いたと言う記述があります。
人間が運転しているので当たり前だったのでしょうが、連合軍は そのことを知らなかった為、それはそれは びっくりした事でしょう。
しかし、最初の人間魚雷回転は ハンドルが回り方向転換することが出来ましたが、敗戦が近づくにつれ、後期の人間魚雷は ハンドルが動かず、一度ソナーに引っかかれば 撃沈され、船体を傾けるだけで 簡単に避ける事が出来たようです。

 硫黄島は ガスが噴出していた為、アメリカ軍の上陸を甘く見ていた感があったようでした。
戦争映画の硫黄島の戦いは 悪者の日本軍がアメリカに負けると言った設定の物が中心の中、真実に近づけようとクリント・イーストウッド監督の作った硫黄島の戦いは 最高に良い出来に仕上がります。
ジャニーズの演技は 全く評価していない私でしたが、嵐の二ノ宮さんの演技には 驚きました。
彼のほかの映画を観るかぎり、この映画が最高ですね。
演出家の才能が素晴らしかったのかもしれませんが。

 この戦いで戦死されたはずの伯父様が 帰ってこられたときには ご家族の方々は さぞや驚かれた事だったでしょう。

 父の長兄は志願、次男は 赤紙、私の父は どうせ死ぬなら日本の為に名誉の死を望み、長兄同様志願したのでした。

Posted at 23:17:24 2014/07/29 by るどるふくん

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kage

みけ さんへ

 私も若い頃、亡くなった後に特進するといった事に 非常に違和感を感じていました。
特に警察関係者が、事件の途中に亡くなった場合、2階級特進とか。
公僕仲間と言うずるさが出ているようで 批判的に考えていましたが、実際は 違うようです。

 本来、通常業務において死亡された時は 一時見舞金やその他功労金などが支給されるようですが、自分から進んで立ち向かったり、勤務中に予期せぬ事により不慮の死を遂げられた場合、少々の功労金などでは 残された家族が生活科困窮する事が多く、残された家族や身内の方の生活も考慮すると この方法が一番良いようです。

 戦争の場合は、赤紙で行った人は 殆ど二等兵で、志願していった者は 最初から、上等兵になるようでした。
特に、二等兵は 特攻隊等に選ばれ、必ず“死ぬ”と決まっている訳ではありません。
ところが、志願した者は 必ず前提に“死”があるのです。
それを全うした時に、名誉を与えたと考えれば 納得の答えかもしれません。

 また、戦犯といわれる人達のことに関しては このシリーズの後半に乗せていく予定です。

Posted at 23:42:38 2014/07/29 by るどるふくん

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kage

あ* さんへ

 この時期に合わせた訳では 無いんですが、今載せるしかないという事があったからでした。

ゆっくりで良いと考えますが、少しずつでも あ*さんの痛快なブログの更新が続く事を望みます。

 今日は ありがとうございました。

Posted at 23:52:16 2014/07/29 by るどるふくん

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kage

父は大正9年でしたが、74歳で他界しました。
悲惨さを、伝える生き証人がもう、亡くなってきいぇます。
私たちの様に、伝え聞いている者も、もう、いい歳になってきています。
私たちの役割は、伝える事だと思っています。

いい機会ですので、父の経験を ここに書かせて下さい。
中国では寒さと飢えで、畑の白菜を取って食べて生き延びたそおうですがその時の中国人には、良くして貰ったと言ってました。

メレオン島では、飢えが酷かったようですが、ヤシガニがいても、捕まえる体力がなく、現地人に採って貰ったそうです。
怪我をした部分には、うじ虫が付くのですが、そのうじ虫を 食べにくるトカゲを待ち、それを採って食べていたとききました。

また、隣の家のおじさんは もっと餓死の酷いところの島だったようで、亡くなった方の、肉を食べたとききました。
こういう話は、表面には出て来ないと思います。

夫の父は目が悪く、身体が基準より、小さいために、軍需工場でした。
日立航空機で、プロペラの設計をしてました。
義母は東京に住んでいたため、空襲にあったり、
名前がわかりませんが、空から飛行機で 機関銃で
狙われ、一緒に逃げた人達の、両側の方は打たれてなくなったそうです。
そのご、疎開したのです。

るどるふくんさん、部隊名とか詳しいのですね。

残酷で、削除されたりして、、。(迷惑掛かるかも)

でも、これは真実です。

目を背けていては、また、繰り返してしまいます。
この場を、もうけてくれて、ありがとうございます。

Posted at 00:49:29 2014/07/30 by おこちゃん

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kage

おこちゃん さんへ

 父上様は お亡くなりになっていたのですね。
ご冥福をお祈りいたします。

 今、差別用語や使ってはいけない言葉が多すぎて、ちゃんとした文章に出来ない事に 残念な世の中になったと考えていました。
表現の自由を訴えているマスコミが、戦争の悲惨な体験談まで 使ってはいけない用語があるとして、ちゃんと世の中に伝えていない事は とても残念に思います。
今回の私の記事も、気遣いながら表現を使っている部分が多々あるので 正確に伝わっているか心配なところでもありますが。

 ご親戚の方々も大変な経験をされていますね。
テレビでは 放送しているところを観た事ありませんが、食料が尽きたり、栄養が行き届かなくなると、亡くなった方の頭蓋骨を細かく砕き、食された方も大勢いたと聞きます。
真実を伝えていかなければならない人達の話も、編集されて放送している番組等は 最初から流さない方がよいと思うこともありますね。

 もし、自由に使えるお金があるのならば、特別な表現の制限なくこういった体験を聞いた事を“100人が聞いた戦争の話”として出版し、全国に流通出来ればいいのにと 考えたくなることがあります。

 今回は ご家族の辛い過去を コメント下さり、ありがとうございました。
 

Posted at 08:47:19 2014/07/30 by るどるふくん

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