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「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(4)

kage

2014/07/31 (Thu)

 【 男尊女卑 】

 母は、大地主の家から 小作農家の家へ嫁いで来ました。
終戦直後の数年は 結婚適齢期の男一人に、トラック1台分の独身の女がいたと言われた時代です。
例え大金持ちの娘でも、結婚出来ただけで 喜ばれた時代でした。

竹やり訓練 お嬢様として産まれた母も、少女時代は 竹やり訓練や護身術、大人になれば お嬢様から貧百姓の家へ。
まさに、青春を謳歌することなく 結婚生活に入ります。
男尊女卑の強かった南九州は お嬢様にとっての苦労が 並大抵でなかったようです。
特に、私の家は 貧乏な小作農家であったにも拘らず、祖父は もともとの士族の家柄からの教育を受けており、祖母は祖母で 代々お金持ちの商人の娘であった為、今は貧乏でも 仕来たり(しきたり)というものに対して 厳しいものがありました。
  本文の人物と写真の人物は 
  まったく関係ありません

竹やり訓練2 ただでさえ朝の早い農家にあって、誰よりも早く起き、朝食やその他もろもろの準備をします。
そして、ご飯は 一番最後に食べ、保温釜のないこの時代 冷や飯や冷めた味噌汁は 当たり前でした。
夕方になると、農作業を早めに切り上げ、風呂の残り水で体を拭き、着替えて買い物に出かけ、帰るや否や夕飯の準備をしながら、風呂掃除をして薪で風呂を沸かします。
お風呂に入るのも、順番が決まっていて、祖父、父、長男そして他の子供達、祖母、そして 最後に母が入る頃は いつも午前様になっていました。
それでも翌朝の五時過ぎには 起きていなければなりません。
この繰り返しの日々が続きます。
私は、祖父母が亡くなるまで、母が床についている所を 見たことがありませんでした。
病気になる暇も無かったようです。


 地元では 祖父も、父もかなりの有名人だったので、来客も多かったのでした。
来客があると、母は 仕事をしなくて良い為か、私が 唯一動き回っていない姿の母を目撃する事が出来たのが この時だけだったのです。


 次回は 「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(5)です




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「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(3)

kage

2014/07/30 (Wed)

 【 アメリカ兵の評判 】

フアットマン 特攻隊は 出撃の日が決まったからといって、その日に 特攻する訳ではありません。
出発する場所へ移動すると言う事です。
敵に場所が特定されると 簡単に壊滅させられる為、出撃場所は 幾つもあり、秘密に行われたようでした。

 出撃の日が 近づいてきます。
しかし、その日になっても、号令を聞く事は ありませんでした。
長崎、広島に原爆が落とされ、日本が負けたと言う知らせが入ります。
出撃の日を待っていた少年達は 日本が負けるまで、その状況は 知らされず、日夜訓練に励んでいたのでした。
後もう少し日本が 頑張っていたら、私の父も今の私も この世に存在していなかったかも知れません。


 日本が負けたことによって 大勢の人達は 赤鬼に喰われてしまうとか、女は手篭めにされてしまうとか、子供は 売り飛ばされてしまうとか 噂が広まります。
それは、特攻隊などの日本人の行為が 今で言う自爆テロ行為として尋常じゃないと恐れられていた為か、日本人の死体を並べ戦車でひき潰す行為を観たものが大勢いたと聞きました。
中には、日本人の死体を切り刻み 自慢げに写真に収める者もいたようです。

 そういったことから、日本人は 特にアメリカ軍に対して恐れおののいていたようですが、実際に訪れた兵隊達は 以外にも好意的で、特に子供達は 彼らが来ると大喜びし、後を連なっていく姿が 良く観られました。

 沖縄は 占領されてしまいましたが、これらの事からも、南九州の人達は B29などの攻撃により多大な打撃を被ったにも拘らず、アメリカに好意的な人達が多かったのでした。
座卓
 家に帰った父が見たものは 近所の人達に評判になっていた祖父の家具です。
物の無い時代、祖父の家具は 人気があり、大工さん達がそのノミやカンナ裁きに魅了されいたと聞きました。

 実際、私が幼少の頃、祖父にカンナの指導を受けている職人さんを見ていて、祖父の仕事は職人達に技を教える職業の人だと勘違いをします。
しかし、金の無い人たちにタダで座卓などの家具を作ってやったり、無料で職人に指導をしていた為、生活は 苦しく、家の百姓仕事は 私の両親にまかせっきりでした。



 次回は 「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(4)です


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「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(2)

kage

2014/07/29 (Tue)

 【 人間魚雷 】

 長男が魚雷によって死んでいった後、家に手紙が届きます。
日本国の為に命を捨てて戦った 長男が軍曹に特進したと言う知らせと、長男が家族への想いや先立つ親不孝の許しを請う内容の手紙と写真でした。

 数年後、沖縄に日本軍が上陸する頃 三男で末っ子の私の父は 年が替わり数えの16歳(満15歳の時)に成った為、少年特攻隊へと志願します。
世の中に男の子達が少なくなると、嫁にいける女の子達は 当然少なくなると考えた祖父は 戦時中にも拘らず、私の祖母に言って 残された娘二人に 琴、三味線、日本舞踊や、着物の着付けを教えます。
百姓の子供と言えど、女性の嗜みと言う物は 身に着けておいて損することが無いと判断したのでしょうか。

 アメリカ軍が沖縄に上陸した頃、次男が帰ってきました。
ぎこちない歩きをしている姿を良く観ると、片方の脚に包帯をしています。
と言うより、太ももの中間辺りから下が ありませんでした。
それは マシンガンで打たれた足が膿み、切断するしかなかった結果だったそうです。
片足を無くすことによって、前線の戦闘から解放され、生きて帰って来たのでした。

 一方、大地主の長女として産まれた私の母は 高等女学校に入学していましたが、タイミング悪く戦中と成った為、授業の殆どが、赤鬼(アメリカ兵)が攻めてきた時の対策として 竹やり、なぎなた、護身術、そして避難の仕方が中心で、勉強は 殆ど出来ていない状態だったそうです。

 本土への攻撃が始まり、敗戦が濃厚になってくると、父の特攻の日が早まりました。
「貴様達は 二週間後に突撃する。」と言われ、身の回りの整理と遺書を書く用意を始めます。
丁度その時、父は 誕生日の関係で同期で入った者達が 特攻隊として出撃するのを見送っていました。
人間魚雷
 乗り込み口は 非常に小さく 身長170センチくらいが限界かもしれません。
昔の人達は 小さい方が多かったことを物語っています。



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「憲法」と「憲法典」をちゃんと理解していない人達と、平和と男女平等と差別を都合のいい解釈している人達へ(1)

kage

2014/07/28 (Mon)

 【 側室と妾 】

 体の弱かった私は 兄と全く逆で 家の敷地から外で遊ぶ事があまりありませんでした。
祖父の父は 家老伊勢氏の末裔でしたが、明治維新の法律により 婚外子とされ、跡を継ぐ事は 出来なくなります。
要するに側室の子だったのです。
男子継承の慣習が終わりを告げ、例え士族の子であろうが 妾の子となったのでした。

伊勢家跡 そして、伊勢の名を継ぐ事の出来なくなった彼は 結婚相手の女性の姓を名乗ることになります。
しかし、側室と違い妾と言う言葉は 風当たりが強く 彼女の親からも結婚を反対され、駆け落ち同然の生活をする事になったのでした。
彼女は 結構有名な商人の娘であったため、貧乏な生活の割には 高価な桐ダンスや三味線、尺八、琴等の習い事の品物とか高価な着物も持っていたようです。

 一方、彼の方は 彼の父親の形見として伊勢家代々の刀や鎧兜(甲冑)を持ってきていました。
私が小学生の低学年の頃まで、これらの物は 刀を除いて家に飾られていた記憶があります。

 そんな父を持つ祖父は 貧乏とは無縁の金持ちの娘と結婚することになりました。
私の祖母の家も金持ちだったのです。
それが、第一次大戦の徴兵と言う大きな出来事によって 一気に貧乏人となり、小作農家となってしまうことに。
彼は 農家の傍ら、家に欲しい家具などを 自分で作るようになります。

 五人の子供達にも恵まれ、安定しかけた矢先に 太平洋戦争が勃発。
戦況が悪化すると二人の男の子供達は 次々志願して戦争に参加して行きました。
そして、長男は 一人で降りる事の出来ない人間魚雷に乗り込み、海の藻屑(もくず)と消えていきます。


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 このシリーズに対するコメントは コメントをしてくれた方々への誹謗中傷を避ける為、承認制にしました。



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ハラハラドキドキ、高校編

kage

2014/07/24 (Thu)

【 高校入学式 】

級友 この題字は 高校二年生の3学期、三年生が卒業式して行くと、二年生も 自動的に最高学年になります。
そこで、私たちクラスは クラスメイトに毛筆で手紙を書くことが決まりました。
46名のうち、自分を除く45名に手紙を書きます。
(右が当時の私の書いた題字です。)

 一週間、家に帰ると クラスメイトの顔を思い浮かべる日々が続きました。
結構、学校で目立っていた割には 女の子と話すことを避けていた自分に気付きます。
案の定、女生徒の私に対する手紙は 前置きに、『あまり話したことありませんが』と言う書き出しのものが 半分もあったのにショックを受けてしまいました。
硬派で強い自分を認めていてくれていると思っていた為、余計にショックは 隠せません。

 三年生になると、積極的に女の子に話しかけるように努力しますが、私が話しかけると、妙に身構える女の子達に戸惑ってしまい、結局話せない自分がいます。



 高校に進学した時に、硬派の脱イメージに努力しようと決意していたはずでした。
しかし、その戦略は いとも簡単に、たった一日で崩れ去ります。

 私は 高校の入学式の日に騒ぎまくるクラスメイト達を沈める為、“静かにしろ”と怒鳴り、騒ぎを鎮めようとしました。
しかし、高校となると いろいろな学校から生徒が集まってくる為、私の中学の時のことなど知らない者の方が遥かに多かったのです。
当然、突っかかってくる者が 現れました。
でも、あっという間に押さえ込んでしまいます。
タイミング悪く、その押さえ込んでいる瞬間を 先生に見つかってしまい、職員室に呼ばれました。

 以前書いた中学一年の時と同じような結果が、待ち受けます。
この後、教頭先生からは 3年間目を付けられる日々が続きました。

2011年8月西郷公園にて クラスの子達は 私が行動を起こすたびに 身構える者までいる始末です。
原因が判りました。
同じ学年に、少刑帰りの人間が入学していたのです。 
15歳の時、対抗する人間達を 日本刀で切りつけた人物で、18歳になって出所、私の高校の一年生となっていました。
そして、体の大きな奴と噂があったのです。
老け顔で、がっちり体型の私を その行動と合わせて、クラスの子達は その男と勘違いをしていたのでした。

 この学校には 三年生に番長がいました。
この人物も 1年ダブっていたので18歳です。
上級生の彼も 私のことを勘違いしているようで、彼の近くを通ろうものなら、数人の三年生が 彼のガードに現れ、私にガンを飛ばしました。

 数週間もすると、その人物が特定されます。
違う科の身長190cmちかい大男の生徒で、早々とクラスを牛耳り、番格となっていました。
そして彼は 勢力を拡大し、すでに3つのクラスを手中に収め、私たちのクラスまで侵攻してきます。
ここで、私だけが 彼に従う事をしません。
これが、学校全体を巻き込む抗争になり、半径三十キロ四方の高校を巻き込んだ大抗争に発展しました。
そして、私の顔を知らなくても、名前は 地域8校に知れ渡ります。


 そして、以前記事にしている高校二年生のときの、ヒッチハイク縦断日本一周旅の影響もあって、更に近寄りがたい人間となっていたようでした。

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ちょっと芸能裏話 (阿久悠マジック 最終話、少女三人に 夢をみた阿久悠)

kage

2014/07/21 (Mon)

【 阿久悠・淳子・昌子・百恵 】

1981年作 桜田淳子写真集より

 私が 遠い昔描いた淳子さんです。
上野で、絵描きの卵達が似顔絵を描いているのを見た友人達が 絵に自信のあった私に(この頃までは)どちらが上手いか比べてみたいと言うので、写真集を見ながら、20分ちょっとで描いた 鉛筆作品(2B)。
他にも1,2点描きました。



 最近、酒井政利さんが 当時の阿久悠さんや山口百恵さんの事を 話しておられます。
しかし、阿久さんや百恵さんがいない今、どこまで真実かと 疑問を投げかけるような話がありました。
 「阿久悠さんには 依頼をしなかったから、彼が百恵さんに詩を作ることが無かった訳で、一種の戦略的な話題作りだった」と。
阿久悠を抜いた秋元康
 しかし、阿久さんは 亡くなる数年前、ひばりさんや百恵さんに詩を提供しなかった事に対して、自分がそうしたと語っています。
ひばりさんに対しては 「完成されているものを新たに違う風に表現していいものか」迷ったと、話していました。
阿久さんには ひばりさんのイメージが世間の人達が思っているのとは 違う風に見えていたのかも知れません。
その結果、“川の流れのように”を 秋元康 さんが いとも簡単に提供した時、この詩が 「僕の考えていたひばりさんのイメージ通りだったので 驚いてしまい、秋元さんに先を越されてしまったと気が付いた」と 淡々と話されます。
秋元さんの才能を認めた上で、早くひばりさんに詩を提供しなかった自分を 叱咤するような発言に聞こえました。

阿久悠に夢を与えた少女達
 百恵さんについては 「あの若さで引退すると判っていたなら、作っておくべきだった」と 残念そうに話されます。
そして、昌子さんについて、「あの頃は ホリプロや徳間音楽工業(徳間音工)に入った時点で、ホリプロと徳間音工がする事に口を挟むことを するべきでないと 考えていました」と 言い、淳子さんに対しては ちょっとした沈黙の後、「時が彼女を見つけ、私の前に連れて来てくれた、しかし、時が彼女を私の元から連れ去った」と表現します。

阿久悠の願いは 届かなかった この言葉から、彼は この三人に、ひとかたならぬ想いを感じていたようでした。
結局三人とも、彼の考えとは 違う方向に進んで行った事に対し、反省と悔しさが にじみ出ているような発言に思えてなりません。

 阿久悠の“人を見抜き、その人の最大の魅力を表現する”マジックを持ってしても、この三人を理想の歌手にする事は 人間のしがらみと時の流れの前に、叶わなかったと感じていたのでしょう。
そして、彼は 自分の死が近い事を知っていて、その無念が こう言った発言をさせたのかも知れません。


*追記
 皆様が思っている疑問の答えは 各記事のコメントに対する返事の中に 答えがあるかも知れません。




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次回で完結 阿久悠マジック 阿久悠さんの戦いは 終わらない




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ちょっと芸能裏話 (阿久悠マジック その11、百恵の評判、淳子からピンク、真子へ)

kage

2014/07/17 (Thu)

【 森昌子・美空ひばり・松田聖子 】

 森昌子さんは 物まねの名人でした。
「象印スターものまね大合戦」と言う玉置宏さん司会の番組では 「出れば優勝するので もう来ないで欲しい」と審査員に言われてしまいます。
そして、その番組に二度と出る事は ありませんでした。
また、現在も たまに放送している物まね番組でも 「昌子ちゃんは 他の人とは上手さが違いすぎるので・・・」と やんわり言われてしまいます。
その後、あのコロッケさん達が初優勝し、四天王が生まれました。
当然、彼女は その時以来、この番組にも出ていません。

松田聖子 淳子さんは 百恵さんと言う最大のライバルがいなくなると、歌手よりも女優のほうに移行します。
そして、百恵さんに代わって アイドルのトップになったのは 皮肉にも同じ事務所の松田聖子さんでした。
更に彼女は 事務所の方針と違い、二十歳を過ぎても 無理に大人の歌手になろうとは しません。
そして、あらゆる批判をものともせず、今では 淳子さんや百恵さんを超える存在となったと言えるでしょう。

 淳子さんは 事務所に所属していながらも、他のタレントとの間に距離が出来るようになった為か 独立します。
それが、引退同然の行動に 拍車が掛かったのでしょうか。
そして、皆さん御存知のような現在に至りました。

美空ひばり 百恵さんは 阿久悠さんや萩本欽一さん達、スター誕生の関係者には あまり評判がよくなかったようです。
挨拶やお礼と言った事がちゃんとできない子などと 酷評されている人もいました。
八千草さんとの確執に関しても、関係者の話によれば 明らかに百恵さん側に非があるようです。
彼女の生活環境がそうさせたのでしょうか。
あの、美空さんにも批判されました。
その美空さんに対して、「あの人のことを尊敬は していない」と答えます。
なんて高飛車な小娘と思われていたかも知れません。

 ところが、阿木曜子さんや宇崎竜堂さんとの出会いの頃から、彼女の評判は すこぶるよくなります。
萩本さん達への不義理に対して、「阿久さんに言われた事などから、私は この業界から直ぐに消えていく人間と考えていたので、余計な付き合いをしては かえって迷惑になると思い、そういった態度をとっていました」と 説明しました。
「当時僅か14歳であったのに なんとけな気な子供だったんだ」と、萩本さんは この時より、百恵さんをリスペクトし始めます。

 宇崎さんは ラジオで 「同世代の歌手に比べ、実に礼儀正しい娘だ」と 持ち上げていました。
さだまさしさんは 「歌を提供した関係が終わると 殆どの歌手の方々は 連絡すらしなくなるのに、百恵ちゃんは 未だにお歳暮も贈ってくださる、日本人の良い部分を持ち続けている娘」と絶賛しています。
谷村新司さんも 彼女の事を 褒め讃えていました。
阿久悠さんも「彼女が引退する頃、彼女がいたおかげで、今の自分が出来ているのかもしれない」と 彼女を 讃えます。

 阿久悠さんは この二十歳も離れた 三人娘達をはじめとする歌手や歌謡界に影響を与え、自らも影響を受けていたのでしょう。
後の、ピンクレディーの二人に 新しいアイドル像を見つけ出し、石野真子さんを 淳子さんとダブらせて見たりしていました。
彼の詩には 歌い手を魔法使いにし、ファンを虜にさせるマジックの仕掛けが あらゆるところに施されていたのです。
その歌い手と、その歌詞を重ねてみて見ると 彼の技術(わざ)が 垣間見えてくる事でしょう。

 次回は 阿久悠マジックの最終話、少女三人に 夢をみた阿久悠です。




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ちょっと芸能裏話 (阿久悠マジック その10、山口百恵を認めてしまっていた事)

kage

2014/07/13 (Sun)

【 日本レコード大賞・紅白歌合戦 】

 花の中三トリオ、この三人は 日本の歌謡史において一際光り輝いていた存在です。
しかし、それぞれ順風満帆の人生では 無かったようでした。

 森昌子さんは 父の反対を押し切る形で芸能界に入り、飛ぶ鳥を落とす勢いで 歌謡界に大旋風を巻き起こします。
そして、その年の新人賞と言う賞を総なめにするのではないだろうかと 誰もが思っていました。
しかし、大手レコード会社や大手タレント事務所などの圧力かテレビ局の考え方なのか、意外な展開となります。

 当時の音楽イベントの最高峰紅白歌合戦、日本のグラミー賞と言われていた日本レコード大賞、この二大音楽番組を追随していたのが日本歌謡大賞で、大人の世界中心であったものの、人気曲を純粋に評価する事に定評のあった全日本有線放送大賞を合わせた四つのイベントに出れる事が、歌い手にとって最大の名誉と考えられていました。

 昌子さんは 有線放送大賞を除けば ほぼ当確だったはずです。
問題が生じました。
今と違い、NHK紅白歌合戦は 夜9時からの番組だった為、当然出演出来る芸能人も少なく、出場出来る事自体が かなり価値のある時代です。
しかし、生放送生出演に固執的であった紅白は VTRという戦術をひどく嫌い、対象年齢に 僅かひと月半足りないと言う理由で、昌子さんを選ぶ事をしませんでした。
史上最年少としての出場は 1歳年をとった翌年の出場で達成します。
(現在の記録は 第62回出場時7歳だった芦田愛菜さんです)
 更に なんとも可哀想な事に 「レコード大賞の最優秀新人賞は 獲らせないよ」と、レコード大賞の審査委員にも宣告されたのでした。
この二つの宣告の後に、日本歌謡大賞で放送音楽賞の優秀新人賞を13歳と言う若さで受賞(最年少)し、涙で歌が歌えなくなります。
この時の彼女の喜びは 一入(ひとしお)だった筈です。
当時の大人達は 年端も行かない子供になんてむごい事を 本人に直接通告していたのでしょうか。
 
 阿久悠さんは 自著『夢を食った男たち』の中で、「山口百恵が、レコード大賞その他の音楽賞を狙える位置にいた時、常にその対極にあって、彼女の受賞を阻んでいたのが、皮肉なことにぼくであった」と記述しておられました。
山口百恵さんが 何曲も大ヒットを飛ばしたにも拘らず、レコード大賞等の大賞は 引退するまで獲れません。
その年々で 彼女の大ヒット曲よりもヒットし、彼女の大賞獲りを阻んだ曲は 全て阿久悠さんの詩だったのです。
“横須賀ストーリー”を“北の宿から”で、“イミテーション・ゴールド”を“勝手にしやがれ”で、”プレイバックPart2”を“UFO”でと。

 桜田淳子さんを理想の女性歌手に育てたかった彼の夢が頓挫し始めた時、彼の野望は 敵対した彼女を倒す為に淳子さん以外で勝負することに変わっていたのでしょうか。
もちろん彼は 意識していなかったでしょうが、生涯最高の出会いをした金の卵から孵った雛を、敵対する圧力や身内の非協力的な扱いによって メチャクチャにされ激怒し、恨みを晴らす為に それら関係者に復讐を果たすと言った構図になってしまいました。

引退発表後の本人生声
 すでにこの時点で、彼は 淳子さんよりも 百恵さんの方に意識が集中し、彼女の存在が淳子さんの存在を遥かに超えてしまっていたのでしょう。
気付かぬうちに 百恵さんの虜になっていたのかもしれません。

 百恵さんは 引退の頃、彼に最後まで認めてもらうことが出来なかったような事を 話しておられましたが、この時にすでに、彼にとって彼女が 認める以上の存在だった事を 察知する事が出来ます。
 

 次回は 阿久悠マジック 百恵の評判、淳子からピンク、真子への事です。




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次回は 淳子さんと百恵さんの事を 阿久さん、百恵さんへの対抗心 阿久悠さんの次の戦略




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ちょっと芸能裏話 (阿久悠マジック その9、山口百恵に 詩を提供してしまった事)

kage

2014/07/10 (Thu)

【 森昌子・セイントフォー 】

森昌子(せんせい) 森昌子さんの予選での歌声を聴いた 阿久悠さんは 「テレビで初めて放送される 記念すべきスター誕生の最初のスターは 彼女で間違いなく、彼女でなければならない」と考えておりました。

 彼女は オーディションの事を知った小母が、父親に内緒で 番組に応募したと言われています。
父親は 予選を通過した娘の本大会出場を 断固反対。
阿久さんを始め、番組のスタッフ達の説得が始まります。
優勝もしていない、予選を通過したばかりの昌子さんは 桜田淳子さんの外観から溢れ出るオーラでなく、歌唱力で彼らを虜にしてしまっていたのでした。
貧乏な家庭に育った昌子さんが、「私が稼げば、おかあさんんも 家族も楽に出来るんだよ。」と説得します。
スタッフ以上に、娘のこの言葉に父親は 首を縦に振るのでした。
 

 阿久悠さんにとって、理想とする番組に最もふさわしい人材が 最初に現れるという最高の運にも恵まれた スタートとなります。
そして、淳子さんの登場。
ますます、阿久さんの理想の形の番組からの歌手が、次々誕生する筈でした。

 過去を振り返った時、一番のつまずきは 桜田淳子さんを ホリプロに入れなかったことが 最大の原因かもしれません。
当時の社長の堀 威夫さんは 後に「桜田淳子を獲得していたならば、山口百恵の現在は 無かった」と言っています。
桜田さんを獲得できなかった事で、彼の野望も腰を折られました。
打倒、桜田淳子。
堀 威夫さんも 桜田淳子さんに大きく魅了されていた一人だったのです。

 山口百恵さんは 青春路線から、性春路線に転換した事で 大人たちを心良く思っていなかったことを 後に告白しました。
案の定、天地真理さんや吉永小百合さんを超える人気を獲得し始めた桜田淳子さんの勢いを止めたのが、山口百恵さんであったことは 間違いありません。

 その後、百恵さんには 映画やテレビドラマ等にお金をかけ、2億円近いお金が掛かります。
結果だけ見れば、本来の人気とテレビマスコミの評価は かなり違っていたのでした。
実際、ブロマイドなどの売れ行きは 淳子さんが1位をずっと獲得、百恵さんは 森昌子さんよりも下だったようです。
当時の大学生から下の男の人たちの人気は 桜田さんの方が圧倒的で、まだ、山口さんは その他大勢の芸能人の一人でしかありませんでした。
ところが、テレビやマスコミの扱いは 山口さんの方がいかにも人気あるかの如く取り上げます。
結局、テレビで見る機会が増えたりマスコミが宣伝すればするほど 山口さんは カリスマ的な存在になって行きました。
ホリプロやソニー、そして酒井さんの成長戦略の効果が 成果を観た瞬間です。
こういった方法は、現在のジャニーズやAKBの売り出し方を見ていると あまりにもそっくりで、現在の国民的アイドルの売り出し方の見本というべき方法に 成って行ったのでした。

セイントフォー ここで、お金を掛ければ どんな新人でも光輝くスターになれると言う伝説が生まれます。
例えば セイントフォーは 百恵さんの手法を真似して、お金を倍かけました。
テレビに、映画、マスコミを使って あの手この手です。
しかし、思ったように売れず、後に引けなくなった会社は とことん投資してしまいました。
ところが、大惨敗してしまいます。
かかった金は 40億円だとも言われました。

 同じパターンが、杉浦幸さんや天馬ルミ子さんです。
杉浦さんは そこそこ売れましたが、天馬さんは ピンク・レディーの稼ぎを食い潰すとまで言われました。
結局、誰でも売れるわけではなく、百恵さんは 磨けば光る存在だったと言う事の証明なのかもしれません。

 この時点で、NHKドラマ“水色の時”の作家石森史郎さんの自身が ドラマの為に作った詩に、竜崎孝路さんが曲を付けた“白い風よ”以外、淳子さんのシングル曲の歌詞は すべて、阿久悠さんの手によるものです。

 花の中三トリオは 大人たちの策略や陰謀とは関係なく、仲良くなっていたようでした。
彼女達が唯一共演した映画は 彼女達の希望でもあったようです。
淳子さんの詩を全て作りたかった阿久さんは その映画の主題歌も手がける事になりました。
そうです。
山口百恵さんの歌詞も 作る事になったのでした。 

 その歌手の魅力を最大限に表現する彼の詩の方針は ここでも生かされていたのでしょうか。
そう考えると、彼の三人の娘に対する想いが 聞き分けられる曲かもしれません。

 昌子さんの歌詞は どんどん熟れて行く彼女を もっと阿久悠の世界に連れて行きたい想い。
淳子さんの歌詞は 彼の考えていた彼女の理想形と違う方向へ進んで行く彼女を捕まえておけない もどかしさ。
そしてこの詩が、この時の百恵さんの事を 特に意識して作ったのであれば、百恵さんファンならずとも聞いて置いて欲しいものです。
 私自身は この歌に対し、百恵さんが芸能界で無理をして 大人ぶらなければならなくなっている事を察知した、彼の百恵さんへの同情が聞き取れたと感じたのですが、皆さんは いかがだったでしょうか。



 次回は、山口百恵を とっくに認めてしまっていた事です。




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次回は 阿久悠さんと百恵さんの事を 阿久さん、百恵さんに惹かれていた 阿久悠さんの想いは どうなる?



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ちょっと芸能裏話 (阿久悠マジック その8、山口百恵の成功、そして桜田淳子と離れる時)

kage

2014/07/07 (Mon)

【 桜田淳子・山口百恵 】

スプーン一杯の幸せ 桜田淳子さんの出る映画は 脇役ばかりでした。
山口百恵さんがドラマや映画で人気が出て行く中、やっと戦略の見直しをしたのか、彼女を 当時人気上昇中の作家、落合惠子さんの“スプーン一杯の幸せ”で主演をさせます。
これは それなりにヒットしますが、彼女の人気と落合さんの原作を考えればイマイチで、遅きに失した感は 否めませんでした。
ちゃんと彼女の事を 考えていたのなら、仲間内の監督でなく、まずは 一流の監督を使うべきだったのでしょう。
しかし、年間レコード売り上げ枚数やブロマイドなどの売れ行きは 山口百恵さんを遥かに上回り続けます。

 ところが、桜田淳子さんサイドのサンミュージックの戦略が 世間のファンには 全く見えて来ていませんでした。 
ビクターとの連携もイマイチであり、阿久悠さんの想いとは 違う方向に進んで行くようになります。 

 一方、山口百恵さん側は よく言えば、表裏一体であるように見えていました。
山口百恵さんサイドは 花の中三トリオの出演作品以外は 名作のリバイバル映画にしか出演させません。
ドラマも赤い迷路がヒットすると、このシリーズが終了するまで、他の作品に 彼女を出す事は しなかったのです。

 山口百恵さんサイドが 彼女の好きだった阿木 燿子さんに作詞を依頼、旦那様の宇崎竜堂さんとのコンビ曲”横須賀ストーリー”によって人気は更に急上昇、“イミテイション・ゴールド”での人気は 確実に桜田さんを上回り、“秋桜”で、中高年まで完全に取り込み、人気を不動の物にして行きました。

 サンミュージックは 人気に蔭りの出ていた森田健作さんを 追いかけすぎました。
彼の功績は 事務所にとって多大であったのを差し引いても、力の入れ具合を間違えていた事は 明らかです。
阿久悠さんやスター誕生の関係者、大物芸能人たちの評価を見れば、一目瞭然だったにも拘らず、ほおって置いても売れて行く彼女を 更に高みに連れて行かなかったのは、相澤さんの怠慢と言うべき大失敗でしょう。

 それどころか、彼は 無理と淳子さんを大人の詩で大人歌手の世界へと連れて行きました。
阿久悠さんの大人の入り口に立った女の子の心情を切実に詠った“もう戻れない”がそれなりに売れているのに、山口百恵さんの阿木・宇崎コンビの成功を真似するかのように、淳子さんの好きだった 中島みゆきさんに曲を依頼します。
デビュー以来、桜田さんを想い続けた阿久悠さんを 世間的に見れば、切ってしまったのでした。

 当時、泣き唄を書かせたら“右に出る者はいない”とまで言われていた 中島さんの曲“しあわせ芝居”、“追いかけてヨコハマ”が 大ヒットし、相澤さんの戦略は 成功したように思われます。
しかし、淳子さんのイメージとは かけ離れていた中島さんの曲は 中島さん自身も 良くは 思っていないようでした。
コンサートで彼女は 淳子さんの歌い方を物まねをして、チャチャを入れました。
彼女の指摘は正しく、阿久悠さんも同じ想いだったのでは 無いでしょうか。
 
 人気が低迷して来ていた桜田さんに 、阿久悠さんは 再び力を貸します。
しかし、阿久悠さんの曲となれば それなりには 売れましたが、次の曲は その半分も売れず、阿久悠さんは 桜田淳子さんの詩を書くことを この曲を最後に完全に辞めてしまい、彼が亡くなるまで 淳子さんに詩の提供をする事は ありませんでした。

 桜田淳子さんと離れる時が、やって来たのです。
ある意味、阿久悠さんにとっての 大失恋の瞬間だったのでした。

 後のインタビューで、桜田淳子さんの詩を作ることを辞めた事に対し、「僕は、淳子ちゃんに限らず、その歌手の今に対して、どういった詩が合っているのか、その人の魅力は どんな詩を書けば 最大限表現できるのか考えて書いています。」
「一旦書いた詩は 僕の手を離れて作曲家の先生に渡った時点で、作曲家の先生の その歌手に対する思い入れがメロディになると考えていて、僕の想いが伝わっているかは 作曲家の先生次第なんです。」
「更に、その曲が歌い手の元に渡り、その歌手の歌として世の中に出た瞬間から、もう僕の物ではなく、歌い手さんの物になっちゃうんですね。」
「だから、歌い方がどうのこうの 私がとやかく言うことは ないんです。 」

 その後、桜田さんは 彼の想いと違う方向にどんどん進ん行き、結果的に宗教に嵌り、芸能界から遠ざかってしまった彼女を残念に思っているのは確かで、悔やんでも悔やみきれない想い、光り輝く黄金の卵を サンミュージックに渡した事を悔やむような発言に 聞こえてなりませんでした。


 次回は 山口百恵さんに 図らずも詩を提供してしまった事です。




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阿久悠さんと百恵さんの事を中心に 阿久さん、百恵さんに惹かれる 阿久悠さんの無念



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ちょっと芸能裏話 (阿久悠マジック その7、桜田淳子を包囲、山口百恵売り出し計画)

kage

2014/07/03 (Thu)

【 南沙織・山口百恵 】

 南沙織さんの売り出しに大成功していたソニーレコードの酒井政利音楽プロデューサーは 山口百恵さんの売出しを手がけました。

 期待の大物新人と売り出すも、南沙織さんほどの人気の出ない百恵さんの戦略を 変えます。
その的になったのが、桜田淳子さんでした。
ここに、彼の頭の良さが伺えます。

 その頃の人気は 淳子さんと大差があるにも拘らず、彼女のライバルであると言う心理を 世の中に浸透させていくのでした。
まず、小中高生男子を虜にしてしまう“カマトトぶりっ子”の容姿と仕草に、阿久悠さんの歌詩が手伝った、“可愛いエンジェル”の淳子さんに対抗し、ミステリアスで過激な内容の歌詞を物怖じもせずに歌う少女路線に 切り替えたのです。
デビュー曲“としごろ”の歌詞とは 真逆の内容で、いつもニコニコしていた 愛想の良かった百恵さんは そこにいませんでした。

 この年、放送禁止になった(自主規制とも言われています。)、なぎら 健壱さんの“悲惨な戦い”が話題を呼びます。
それを倣った(ならった)かのように、レコードは発売しながら、テレビでも唄っているにも拘らず、何故かラジオでは “内容が過激なので自主規制します”として昼間の放送を自粛しました。
これには、世の中が大いに反応、彼女の知名度が あっという間にアップします。
さらに、淳子さんとのテレビ番組での共演も活発に行いました。

 早稲田と慶応大学が 桜田淳子さんと森昌子さんをイメージアイドルにしたため 酒井さんが東大に働きかけたおかげで、知名度では 圧倒的に出遅れていた山口百恵さんが、東大のイメージガールになれたと言う噂話もあります。
阿久さんは こういった彼女の売り方にも 疑問を呈していました。

 この頃の淳子さんは、中学生にしては演技が上手く、役者よりも上手いのではないかと評判になります。
そして、同じ事務所の映画に、脇役でも目立つ役等で 出演し始めました。
その演技力の高さは、吉永小百合さんの再来かそれ以上だとか噂になります。

 一方、百恵さんは テレビドラマに進出しました。
演技力に疑問のある彼女は ヒロインであるにも拘らず、台詞は 極端に少ないものとなります。
ここに、ホリプロや酒井さんの策略が伺えました。
それまでの人気歌手や、最近に至るまで、棒読みの台詞回しで、どれだけ失敗しているか、それならばいっそ喋らないほうがマシと 判断したのでしょう。
(この数年後人気の出る、薬師丸ひろ子さんの“野生の証明”での演技も 同じ臭いがしました。)
このテレビドラマは 共演者の宇津井さんら他の役者さんの演技力の高さも手伝ってか、子供だけでなく、大人の間でも評判となり大ヒット。
彼女の曲に対して、怪訝(けげん)な顔をしていた大人達も、彼女のファンに成って行く人が増えたのです。

 そして彼女は、次回から主役として“赤いシリーズ”と言うドラマの人気が、定着するのでした。
(エピソードとして、彼女の出演番組は いろいろなところでトラブルがあり、八千草薫さんとの確執は かなり有名で、彼女は百恵さんとこの後一回も共演する事は無く、淳子さんのドラマには心地よく出演をされたと聞きます。 )

 淳子さんの関係者は 吉永小百合さんが主演ヒットした映画を 彼女で次々リメイクして、人気を不動のものにしようとします。
しかし、それを察知したのか、百恵さんサイドは 先手を打ちました。
前年、テレビ版の“伊豆の踊り子”は一躍有名になった栗田ひろみさんで放送済みの為か、映画版“伊豆の踊り子”を 発表し、共演させた 人気アイドル俳優の三浦友和さんのファンの嫉妬絡みも含め、彼女の人気が更に上昇します。

 出し抜かれ、人気を不動の物にし始めた百恵さんに対して、淳子さんサイドの反撃が始まりました。



 次回は、山口百恵の成功、そして桜田淳子と離れる時の事です。


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次回は 阿久悠さんと百恵さんの事を中心に 阿久さん、百恵さんに 阿久悠VS酒井政利



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